私は以前、学生だったとき目黒不動尊の近くにアパートを借りて
一人暮らしをしていた時期がありました。
私が住んでいた街の歴史がどのようなものだったのか、
そのころの想いでも含めて書いてみたいと思います。
江戸時代の目黒には将軍家の鷹狩りの場がありました。
三代将軍徳川家光は目黒の鷹場を何度も訪れていたそうです。
ある日、愛鷹の行方が分からなくなってしまったことがありました。
家光は鷹狩のときに休憩をしたり、昼食をとっていた目黒不動尊を訪れて
鷹の無事を「実栄」という僧に祈願させたところ、たちどころに
鷹が戻ってきたそうです。
そのことを喜んだ家光は目黒不動尊を崇敬するようになり、
以後、歴代将軍が目黒不動尊へ参詣するようになりました。
幕府からの支援を受けて以来、江戸庶民にも愛されるようになり
大勢の参詣者が訪れる観光名所となりました。
門前町から目黒川に架かる太鼓橋までたくさんの茶店、飲食店が並んでいたそうです。
タケノコご飯が名物だったようで「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の俳句で有名な
正岡子規もタケノコご飯を食べたことがあるそうです。
当時、私は昼間はアルバイトをして夜は夜学に通っていました。
アルバイトや勉強で疲れたときには目黒川沿いをよく散歩しました。
夜風にあたりながら散歩するとリラックスできたのを今でも覚えています。
目黒不動尊から目黒川に向かって歩いていくと太鼓橋という橋があります。
この橋は「目黒太鼓橋夕日の岡」という錦絵にも描かれています。
この錦絵は「ひまわり」を描いたゴッホにも影響を与えた
歌川広重によって描かれました。
太鼓橋を渡るとその先に台地の斜面があります。その台地の斜面に夕日が差すと
木々が美しく輝くので紅葉の時期には大勢の行楽客が訪れたそうです。
私も太鼓橋から見る綺麗な夕日を見るのが好きでした。
特に小春日和の日に見る夕日はいちだんと輝いていました。
太鼓橋を渡ると行人坂というとても急な坂があります。
行人坂の名前の由来はこの地域の治安を守るために徳川家が湯殿山から
高僧行人「大海法師」を勧請(かんじょう)したことが関係しています。
お福(後の春日局)も湯殿山を訪れて竹千代(後の三代将軍徳川家光)
のために祈願をしたそうです。
江戸時代の行人坂には富士見茶屋がありました。
当時は江戸から富士山まで健脚の人でも往復で8日間かかったので
参詣者の人々はどんな想いで美しい富士山を眺めていたのでしょうか。
私はこの街の明るい雰囲気が好きでした。過去のことを
いろいろ調べて分かったことは様々な人の想いが積み重なって
この街の雰囲気が創られたんだなと感じました。
私が住んでいた時には知らなかったことが知れて本当に良かったです。
。